山口市ゆかりの明治維新関連の人物をご紹介いたします。
写真:山口県立山口博物館蔵
1835~1915(満79歳没)
出身:吉敷郡湯田村(山口市湯田温泉)
初代外務大臣
政治家・実業家
写真:山口県立山口図書館所蔵
1835~1920(満85歳没)
出身:吉敷郡御堀村(山口市大内御堀)
当役用談役
政治家・能書家
杉 孫七郎
Profile
吉敷郡御堀村(山口市大内御堀)出身。1861(文久元)年、幕府の遣欧使節団に随行し西欧諸国を視察。維新後は主に宮中で活躍。ユーモア溢れる好人物で多くの人から慕われた。能書家としても広く知られている。
志士ゆかりのスポット
写真:萩博物館所蔵
1837~1917(満80歳没)
出身:吉敷郡二島村(山口市秋穂二島)
参事院副議長
学者・政治家
山尾 庸三
Profile
吉敷郡二島村(山口市秋穂二島)出身。1863(文久3)年、井上馨らとともにイギリスに渡航。維新後は明治政府に出仕。東京大学工学部の前身である工学寮の設立を提唱するなど近代工業の確立に尽力した。
写真:国立国会図書館所蔵
1824~1869(満45歳没)
出身:吉敷郡鋳銭司村(山口市鋳銭司)
初代大輔(次官)
医師・西洋学者・兵学者
写真:勅撰銅碑(野村素介著)
1842~1927(満85歳没)
出身:吉敷郡長野村(山口市大内長野)
長州藩士
政治家・書家
野村 素介
Profile
吉敷郡長野村(山口市大内長野)出身。1866(慶応2)年、家督を継ぎ、藩主毛利敬親の側近として活躍。維新後は茨城県知事・元老院議官などを歴任した。能書家としても広く知られ多くの書を残している。
志士ゆかりのスポット
- 脱隊諸士招魂碑
写真:東行庵蔵/下関市立東行記念館委託
1829~1868(満39歳没)
出身:吉敷郡山口町後河原(山口市後河原)
長州藩士
武士・政治家
福田 侠平
Profile
吉敷郡山口町後河原(山口市後河原)出身。1863(文久3)年、奇兵隊に入隊。後に参謀・軍監(副将)へと累進。若き隊士からの信頼も厚かった。没後は東行庵に葬られたが有志により大内御堀にも墓が建てられた。
志士ゆかりのスポット
- 福田侠平の墓
写真:国立国会図書館所蔵
1839~1867(満27歳没)
長州藩士
武士・政治家
写真:国立国会図書館所蔵
1833~1877(満43歳没)
長州藩士
武士・政治家
写真:山口県立山口博物館所蔵
1823~1864(満41歳没)
長州藩士
武士・政治家
周布 政之助
Profile
井上馨や高杉晋作ら若手の良き理解者。禁門の変・長州征伐・下関戦争と相次ぐ情勢の悪化により追い込まれ1864(元治元)年9月、吉富簡一宅で自刃。遺言により石州街道沿いに墓が建てられた。杉孫七郎は甥。
志士ゆかりのスポット
- 周布公園
- » 枕流亭
写真:山口県立山口博物館所蔵
1844~1892(満47歳没)
初代司法大臣
政治家
山田 顕義
Profile
1885(明治18)年、内閣制度が発足した際、初代司法大臣に就任。その後は日本大学や國學院大學の前身を設立し教育にも尽力した。旧宅は糸米と中央にあった。妻、龍子は湯田温泉の旅館瓦屋の娘である。
志士ゆかりのスポット
- 山田顕義旧宅跡
写真:国立国会図書館所蔵
1843~1910(満66歳没)
鉄道頭
政治家
井上 勝
Profile
1863(文久3)年、井上馨らとともにイギリスに渡航。鉱山学や鉄道の実業を学んだ。1868(明治元)年、明治政府に出仕し、鉄道頭となり各地の鉄道敷設を指揮した。旧宅は下小鯖にあったと伝えられている。
写真:山口県立山口博物館所蔵
1841~1909(満68歳没)
初代内閣総理大臣
政治家
1840~1864(満24歳没)
長州藩士
政治家
写真:堀真五郎著「伝家録」マツノ書店発行
1838~1913(満75歳没)
八幡隊総監・大審院判事
政治家・判事
堀 真五郎
Profile
1863(文久3)年4月、高杉晋作とともに京都より帰藩。その後、高杉の奇兵隊結成に呼応し八幡馬場で八幡隊を結成、総督となる。維新後は裁判所に出仕し、1890(明治23)年には大審院判事に昇進した。
志士ゆかりのスポット
写真:山口県立山口博物館蔵
1819~1871(満52歳没)
毛利家25代当主
藩主
写真:国立国会図書館所蔵
1843~1900(満56歳没)
内務大臣
政治家
品川 弥二郎
Profile
長州藩の足軽・品川弥市右衛門と池田六左衛門の長女まつの長男として生まれた。明治維新後の明治3年(1870年)、渡欧して普仏戦争を視察するなどドイツやイギリスに留学し、内務大書記官や内務少輔、農商務大輔、駐独公使、宮内省御料局長、枢密顧問官などを歴任。
志士ゆかりのスポット
写真:山口県文書館蔵
1852~1919(満67歳没)
出身:周防国吉敷郡平川村(山口市)
第18代内閣総理大臣
政治家
寺内 正毅
Profile
1852(嘉永5)年、吉敷郡平川村(現 山口市)で生まれ、宮野村(現 山口市)の寺内家の養子となった。明治維新後、フランス式軍事教育を受け、西南戦争(1877(明治10)年)には、大尉として出征して負傷し、右腕が不自由となった。1882(明治15)年、フランスへ。帰国後、陸軍大臣官房副長、陸軍士官学校校長を務めた。 1902(明治35)年、第1次桂内閣、第1次西園寺内閣、第2次桂内閣で陸軍大臣を務めた。1916(大正5)年、内閣総理大臣となり、連合国側の要請でシベリア出兵を行った。しかし、出兵が長引くことで、国内では米の価格が高騰して米騒動が起き、責任をとって総理大臣を辞任。翌年、満67歳で亡くなった。