野田神社
人材の登用で明治維新に大きく貢献した藩主毛利敬親が祭神
祭神は毛利敬親で、戦国時代に西国有数の大大名へと毛利氏をのしあげた毛利元就を祭神とする豊栄神社(1871年に現在地へ遷座)に隣接。敬親は四境戦争(第2次長州征伐)や戊辰戦争における藩士たちの活躍を見届け、1871(明治4)年に山口で没する。藩政において身分に関係なく有能な人材を抜擢、重用するなど、寛大さから多くの藩士に慕われていた。その有志らによって、1873(明治6)年に豊栄神社境内に敬親の諡から当初は忠正神社として建立。翌1874(明治7)年に地名より野田神社となり、1886(明治19)年に現在地へと遷された。1898(明治31)年には、1896(明治29)年に没した養嗣子の元徳を祀る芳宜園神社が境内内に建てられ、1936(昭和11)年に野田神社へ合祀。また、社殿前の鳥居は山県有朋、寺内正毅、杉孫七郎らによって1916(大正5)年に奉納された。
なお、野田神社能楽堂は明治維新70年記念として、1936(昭和11)年に元徳の長男・元昭によって寄進され、能舞台としても全国屈指の存在。野田学園グランド内に位置していたが、1991(平成3)年に建物全体をそのまま横滑りさせる形での現在地までの移築は大きな注目を集めた。同年、山口市より有形文化財指定。
所在地 | 山口市天花1丁目1-2 |
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電話番号 | 083-922-0666 |
入場時間 | - |
入場料金 | - |
アクセス | JR山口線上山口駅より徒歩約10分 防長交通・JRバス/野田学園前バス停徒歩3分 山口市コミュニティバス「大内ルート」・61番野田バス停徒歩5分 |
定休日 | - |
駐車場 | あり(15台) |
- ※トイレあり