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野田神社神事能「山口薪能」平成28年7月31日(日)※予定。開演午後六時半(開場午後五時)・場所 野田神社能楽堂
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野田神社能楽堂の歴史

野田神社能楽堂

歴史

 山口市の野田神社には、昭和11年、旧長州藩主の毛利家が、明治維新70周年を記念して建築、奉納した能楽堂があります。
 総ヒノキ造りで、本舞台に加え、橋掛り、鏡の間、楽屋などを備えた238平方メートルの本格的な造りであり、室町時代風のすぐれた建築様式を誇っています。厳島神社能舞台などと肩を並べる全国屈指のものとして知られております。
 この能楽堂は当社旧参道横(現・野田学園運動場)に建立されていました。昭和43年、山口市都市計画事業による市道の新設に伴い、参道が分断され、運動場として野田学園に割譲され、能楽堂は運動場の一角に孤立した格好になりました。
 以来、久しく演能も行われず建物は損傷、雨漏り、白蟻等に浸食されるままの状況でありました。平成元年秋ごろ、あるテレビ局で「文化の街の忘れもの」という形で、能楽堂が取り上げられ、県内をはじめ中国地方から注目を集めることとなりました。そして平成2年春、山口市教育委員会委嘱による本格的な調査が実施され、呼応するかのように、市内の青年団体をはじめ多くの有志の方々から修復の気運が盛り上がって来ました。神社では、総代会を中心に専門技師を加え、解体か、移設か、幾度となく会議を重ね、およそ150t と推定される能楽堂を約40個のジャッキで持ち上げ、鉄管のコロ約300本を土台の聞に敷き、2基のウインチで巻き上げ移動するという「一括引移転工法」による方法が決定されました。
 平成3年3月5日、能楽堂移設奉賛会が設立され、移設修復事業が決定し、県内外を問わず、あらゆる方面から浄財が寄せられ、同年7月に「そこのけそこのけ能楽堂が通る。」と全国に報道され120mの移設を完了し修復を行い、9月7日「山口薪能」が再び演能されたのであります。
 山口市文化財審議会の答申に基づき平成3年4月23日、山口市教育委員会より「市指定有形文化財」に指定され、毎年夏の薪能をはじめ、各流派のお稽古、能楽堂コンサートを開催するなど、文化の発信地として面目を施してきました」。

舞台について

 能舞台は本舞台・橋掛り・地謡座・後座の四部分に分かれます。演能の中心となる約6メートル四方の本舞台は単に舞台ともいい、四隅の柱が屋根を支えています。正面奥の鏡板には老松、右側面には若竹が描いてあります。この舞台の揮毫者は、防府市、植木華城氏が昭和12年6月、7月の2カ月をかけて書き上げたものです。後座の左側にのびる橋掛りは登場・退場の通路ですが、舞台の一部としても効果的に用います。橋掛り奥に揚幕が垂れ、その先が鏡の間です。演者はここに据えられた大きな鏡の間で面をつけ、装束を整えて出を待ちます。
 能は原則として舞台装置を使わず、照明上の技巧もいっさい用いません。謡の文句と器楽と役者の動きだけで、あらゆる場面を自由に、しかも瞬時に作りあげていくのです。
 また、音響効果として、本舞台床下に、12基、橋掛り床下に3基、直径53センチ、高さ57センチの瓶が置いてあります。
 能のプログラムを番組(能組)といい、1曲の配役は特別な約束に従つて役名を記さずに示すのが常となっています。

舞台について
薪能イメージ写真

野田神社能楽堂
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